僕が整体師になった理由

満身創痍

人の体を触らせていただく仕事に就く前、僕は食品市場で10年間働いていました。
深夜の2時か3時に起きて昼過ぎまで、食品の仕分けと配送の仕事です。

市場の仕事は重労働で、もともと腰痛持ち(ヘルニア)だったのですが、だましだまし10年間続けました。

ですが、最後は腰だけではなく左足のかかとまでしびれる坐骨神経痛、肩こりを通り越して左肩の痛み、さらには胃腸炎になり入院寸前までいくような状態になりました。もう、体はボロボロという感じでかなり仕事がきつくて、その頃の自分の写真を今見ると人相が違うくらいになっていました。

セミナー

市場の仕事をやめる2年前くらいから「整体」に興味を持ち始め、素人でも受けられる講習会に行ったり本を買って読んだり少しずつ勉強を始めていました。市場をやめる決心をした時からは、働きながら勉強をさせてもらえるような整体院がないか調べるなどして具体的にこの道に進む方向を探っていました。

母からの頼み

そんな時に、定年後千葉県の南房総に夫婦2人で移住していた母から電話があり、糖尿病を患っていた父が痴呆も出始め、かなり病状も悪化して面倒を見るのが大変だから、僕にこっちに来てくれないかと頼まれました。

それまで南房総には盆や正月に行くくらいで、住むことなど僕は全く考えていなかったのですが、たまに行って帰るときには病気持ちの父と母2人を残していくのが少し後ろめたい気はしていました。そこに仕事をやめようと思っていたタイミングで、そんな母からの頼みがあり、妙なめぐり合わせだなぁと感じて考えた末、南房総に行くことにしました。

そして僕は途方にくれる・・・

館山といえばある程度の町だろうし、探せば整体の仕事にも就けるだろうと甘い考えで、今から10年前に市場の仕事をやめて、南房総に移り住みました。
ところがどっこい、館山は想像以上に田舎で仕事がない・・・・・・仕事がない・・・・仕事がない・・・・
だだっ広い田んぼの農道を途方に暮れて車で走っていたのを覚えています。頭の中では大沢誉志幸の“そして僕は途方に暮れる” が流れていました。農道なのに・・・(笑)

マッサージ

2か月ほど仕事を探しながらフラフラしていましたがある日、館山に唯一あるショッピングモールに必要な物を買いに行ったとき、いわゆるマッサージ店を見つけました。ウィンドウ越しに覗いて見ると壁に従業員募集の張り紙がありました。

僕がそのころ勉強していた整体は骨格にアプローチする方法だったので、ちょっと方向性がちがうけど同じ体を触る仕事だから勉強になるだろう・・・まずはちょっと受けてみようと20分コースをお願いしました。店の中を見ると従業員は女性ばかりだったので、「男は雇ってもらえないかな・・・」と思いながらも施術を受けました。

始めの一歩

施術後、担当してくれたスタッフに求人のことを聞いてみるとすぐに店長さんに伝えてくれました。しばらく待っていると店長さんが現れ、ちょうど男性スタッフが1人欲しかったらしく、後日改めて面接をするということでその日は帰りました。僕はこの時点でここで働くことに決めていました。
面接後、晴れて採用ということで僕の施術家?としての初めの初めの初めの一歩を踏み出せることになりました。

整体サロンRELAXIN’